八代妙見祭パートⅡ

風邪の具合いが大分よくなった、風邪をひいて約1週間、今までは3~4日あれば大体良くなっていたが、年を取ればこんなものか?それとも血糖値改善中で体力が落ちていたのか?

八代妙見祭パートⅡ

妙見祭から1週間過ぎようとしているが蒸し返して、妙見祭の出し物の行列は”塩屋八幡宮”から八代神社(妙見宮)まで約6Kmを歩く、その先頭を行くのが【獅しし子】それか②花奴③木馬④鉄砲⑤毛槍⑥白和幣⑦籠⑧笠鉾”菊慈童⑨神馬・・・・・・㊴亀蛇ガメ㊵飾馬の順に行列に参加する人数はおよそ1700人、行列の長さは1,5Kmほどにもなる、その模様は妙見宮祭礼絵巻(19世紀初頭)に描かれている。

獅子の紹介はパート1で紹介済で②花奴から紹介。

【花奴】江戸の作法を習い伝え宝暦2年(1752年)には行列に出ていたことが確認されている。

先頭の2人が持っている道具は、城主の衣装を入れる挟箱、次が雨傘である立傘、最後が城主の「かぶり笠」を乗せる台笠、これらの道具の受け渡しの技法は見事。と~く離れた夢爺には口上までは聞こえなかった。

【木馬】

江戸時代に城下に住む商人たちが子供が七五三を迎えるお祝いに木馬や衣装をあつらえて奉納し12頭が出されていた。

かわいいですね。

お代官さま”菓子箱を御一つ”夢爺屋お前も〇〇じゃの~・・夢爺屋の○○息子か?

酒をのんで町人にちょっと悪ふざけか?お前も〇〇じゃの~

かなりお疲れの様子でした。

【鉄砲】【毛槍】

鉄砲、毛槍隊は江戸時代には祭りの警護のために八代城の足軽や八代群の群筒が務めていた。今は確か地元の高校生が務めている。

【白和幣】

白和幣は、もともと江戸時代に妙見宮周辺の老若男女が白い御幣を持って参加していた、今は、地元女学校を遠い昔に卒業された当時の美女軍団か?。

【籠】

江戸時代の神仏習合の頃、妙見宮、隣にあった神宮寺の高僧が籠に乗っていたそうな、頭てかてかの高僧さんから今は毎年かわいらしい稚児籠に。

〔笠鉾〕【菊慈童】 笠鉾の先頭に立つ、最も由来が古い笠鉾、御幸行列の中では他の笠鉾の先頭に立ち、天気が悪くても必ず妙見宮までお供することが習わし。

菊慈童は謡曲「枕慈童」に登場する少年で、仕えていた皇帝から賜ったありがたいお経の言葉を菊の葉に書いていおいたところ、菊の葉から滴る露が不老不死の薬になって700年経っても若々しいままであったといい、人々の不老不死の願いを表している。

まだまだ神馬奉納や亀蛇が出てきません、もう”よかばい”と言わずに後2~3回付きようてくだはりまっせ、よか人はおポチッとしてはいよ。

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