アイキャッチ画像と表題の「意図的な”年齢詐称”はいけませんね」は関係ありません。
地元だから見られる嬉しいチラシです。
昨夕から降り続いた雨、今日の昼過ぎには止んだが、朝からの雨で孫の”第100回全国高等学校ラグビーフットボール大会熊本予選”の応援に行く予定だったが、試合は予定通りだが爺さんの応援は中止に。
雨の日はPCの前に居る時間が多くなる。
よって必然的にポチッとも多くなり、折角、今月は自己破産を免れたと思ったが、もう福沢さんが飛んでいった。
”年齢詐称”はいけませんね?
名刺の作り変え。
旅に出なくなりめっきり使用する機会が無くなった名刺。
今までの名刺「孫8人、焼酎大好きな古希に近い・・・・」など自己紹介していたが、古希を過ぎた爺さん、意図的な”年齢詐称”はいけませんね。
よって暇に任せて作り変え。
古希に近い・・・でも、古希すぎた・・・でも。
70過ぎればどうでもいいことだが”年齢詐称”はいけません。
後どれだけの出会いがあり、どれだけの人に名刺を渡すことができるか分からないが、100枚印刷した。
余ったならあの世で配るとして棺桶に一緒に入れてもらおうとかと思っている夢爺さんにポチッとお願いします。
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ポチッとありがとうございました。
歴史と文化の薫るまち宇土探訪!
同じ町や市に住んでいても知らないところや行ったことがないところがまだまだ沢山ある、歴史と文化の薫まち宇土藩紹介。
まずは轟水源を少し紹介、轟水源は、江戸時代、宇土の城下の飲み水は水質が非常に悪く、当時の藩主だった細川行孝公は、街の南西部にある轟水源から松橋焼の土管を使い、藩士の家々まで水道を引く計画を立て、長さ43センチの丸い土管を総延長4.8キロもつなぐ大工事で、寛文3年(1663)に完成した。その後、馬門石による用水路に変わり現在も使われ、この水道水源となっている轟水源は、このような歴史的価値も認められて“日本の名水百選”にも選定されてる。
夏場には沢山の子供連れで賑わう。
5代藩主興文公のとき,土管を網津産の馬門石(まかどいし,阿蘇溶結凝灰岩)製の石の樋管に取り換える大改修を行った、この管は「コの字型」にくり抜いた石に板状の石を被せ,その繋ぎ目を「ガンゼキ」という接着剤で接合したもので、大改修であったため財政的な負担も大きかったようだが石の樋管は壊れにくく、また組み合わせ式の管を採用したことにより維持管理が非常に楽になったと言う。
この轟泉水道は、今なお使われている上水道では日本最古といわれ、今でも100戸程の人々が生活用水として利用している。
次は「大太鼓収蔵館」、平成29年1月に開催された国の文化審議会において、「宇土の雨乞い大太鼓附(つけたり)関連資料」を国重要有形民俗文化財にするよう文部科学大臣に答申が出され3月に正式に指定された。
雨乞い大太鼓の国重要有形民俗文化財指定は全国初で、熊本県の文化財が国重要有形民俗文化財指定に指定されるのははじめてのこと。
この上に「轟御殿跡」があり桜の名所となっている。
開館時間:午前9:00~午後4時30分、休館:月曜日(但し月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日)入館料:一般100円、小中学生50円
すべてケヤキの木をくり抜いた一木造りで,太鼓の両縁には木星(きぼし)と呼ばれる14面体の飾りがつけられており,古いものでは,走潟町平木地区の太鼓に寛文13年(1673)6月2日の銘があり、太鼓のほとんどは雨乞いや虫追いなどの村の行事のために市内各地区の太鼓小屋において保管されていいたが,これらの行事は戦後次第に衰退し,大太鼓も神社や寺に放置されていたり,朽ち果てていた。
しかし,昭和48年(1973)に椿原大太鼓が修復され,活用されるようになったことをきっかけに,他の地区でも大太鼓再興の動きが出てきはじめ,平成元~3年(1989~91),当時の竹下登内閣が打ち出した”ふるさと創生事業”の交付金を活用し大太鼓の修復と大太鼓収蔵館を建設した。
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