今日は今から熊本市内の歯医者さんへ。
定期健診で4か月に1回行っているが先々週の検診で小さいカリエスが見つかり今日(金曜日)5時からの予約で治療。
1回の治療で済む。
特にブログ投稿するネタはないが行く前にちょいちょいと今日の最後の仕事を。
続「恋人よ」。
今日も仕事始めは「恋人よ」の♪枯れ葉散る夕暮れは~・・・からスタート
まだしばらく♪枯れ葉散る~夕暮れは~・・・が続きそうです。
♪一山~ふた山~三山~の落ち葉の山が出来るころは続♪枯れ葉散る~・・?
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歴史と文化の薫るまち宇土探訪!
同じ町や市に住んでいても知らないところや行ったことがないところがまだまだ沢山ある、歴史と文化の薫まち宇土藩紹介。
まずは轟水源を少し紹介、轟水源は、江戸時代、宇土の城下の飲み水は水質が非常に悪く、当時の藩主だった細川行孝公は、街の南西部にある轟水源から松橋焼の土管を使い、藩士の家々まで水道を引く計画を立て、長さ43センチの丸い土管を総延長4.8キロもつなぐ大工事で、寛文3年(1663)に完成した。その後、馬門石による用水路に変わり現在も使われ、この水道水源となっている轟水源は、このような歴史的価値も認められて“日本の名水百選”にも選定されてる。
夏場には沢山の子供連れで賑わう。
5代藩主興文公のとき,土管を網津産の馬門石(まかどいし,阿蘇溶結凝灰岩)製の石の樋管に取り換える大改修を行った、この管は「コの字型」にくり抜いた石に板状の石を被せ,その繋ぎ目を「ガンゼキ」という接着剤で接合したもので、大改修であったため財政的な負担も大きかったようだが石の樋管は壊れにくく、また組み合わせ式の管を採用したことにより維持管理が非常に楽になったと言う。
この轟泉水道は、今なお使われている上水道では日本最古といわれ、今でも100戸程の人々が生活用水として利用している。
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