今日から京都、京都に入れば「ガレリアかめおか」を拠点にゆっくり京都散策を楽しむつもりが、予定変更し日本海側を北上することに。
今朝は「舞鶴港とれたてセンター」で迎えています。舞鶴港がすぐ近く、小樽行の日本海フェリーが出ている、そのせいか昨夜の静かな一人寝に比べこのような状態に。夜、最終トイレに行ったときは隣の車はなかったが、朝方このように、ドアを音がしないようにそーと開けたのが幸い、ドアがあたる間隔でした。
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昨日は丹後半島一周、一番海側の道路を走ることに温泉「花ゆぅみ」からナビなしでスタート、一本道で分かりやすいが離合もままならない箇所がいくつも、幸い対向車、後続の車もなく一番高い七滝峠まで登ることができた。
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峠からの眺望、此処からは少し道幅も広くなる所が多い、なぜこの道を選んだかは観光マップに静神社なるものを発見し参拝しに行くことに。
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静神社の物語は下記を。
静御膳、丹後市観光協会のホームページより。
磯の善次の娘として生まれた静は6歳で父を亡くし、思い出多い故郷に別れを告げ、母と京都に上りました。 巧みな舞と美しさで静は指折りの白拍子に成長し、寿永元年(1182年)7月、後白河上皇が京の神泉苑で雨乞いの神事を行った時、召されて舞った直後に大雨となり「日本一」のお誉めにあずかりました。また堺の住吉神社の舞会で平家追討に来ていた源義経に見初められて側室に。 静18歳、義経27歳でした。 義経は平家滅亡後、兄頼朝と不仲になり静を連れて吉野山に逃げましたが、途中雪の中で別れ別れとなり、身重の静は捕らわれて鎌倉に送られました。 文治2年(1186年)4月8日、鶴岡八幡宮で頼朝をはじめ並みいる武士たちの前であざやかに舞ったのは有名です。『吉野山峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき しづやしづ賤のをだまき くり返し 昔を今になすよしもがな』 と義経を慕って歌ったのが頼朝の怒りにふれ、幽閉されました。 静は7月に男児を生みましたが子は由比ヶ浜に棄てられました。 後に許され、禅尼となった母と懐かしい故郷の磯に帰った静は、生家跡に小さな庵をつくり、義経の無事と愛児の冥福を祈りました。 20余歳の秋の暮れ、静は鳴き弱った虫が消えるように夫と愛児の後を追いました。

階段を登ればこのような。あまり訪れる方はいないのか。
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神社上の展望台、展望台から日本海、高さ数メートルもあろうかと思う波が打ち付けています。
静御前を訪ねて源義経(みなもとよしつね)が磯にやってきたとき、船を着けた所が入艘の浜だという伝説が残り、500m沖合の海上に点々と浮かぶ黒岩・赤岩・日照岩(ひでりいわ)などが、凪の日は浮島のように、荒天の時には波を切って泳ぐ水鳥のように見え、まちの景勝地として知られています。
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以下省略。
浦島神社なるものを発見。
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浦島神社は日本最古の「丹後風土記」に描かれている浦嶋子(浦島太郎)の物語の舞台となった浦嶋神社、この神社は天長2年(825)当時の丹後の豪族であった浦嶋一族の業績をたたえて建立されたと云われている。日本最古といわれる浦嶋太郎物語が細かく描かれた浦嶋絵巻(国指定重要文化財)、室町時代中期から桃山時代にかけての見事な文様が施されている乙姫小袖(国指定重要文化財)さらに室町時代に作られたとされる亀甲文櫛笥の玉手箱などがある。境内からは、浦島古伝にも登場しているという雲龍山や山頂から白布をまっすぐに垂れ下げたような美しい布引きの滝もよく見ることができる。
由緒ある神社ですね。
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どこでも行ってやろう、見てやろうとの思いでスタートした旅、ほとんど人と会うことがなかった七竜峠と七竜神社、静神社や浦島神社、ほんとに寂しいところでした、次は誰でも知っている”伊根の舟屋”を紹介、次の旅はいつできるのか思いを募らせ😭😭に暮れている夢見る爺さんにポチッとお願いします。